この休業措置に伴い、7年もの長きに渡り店を切り盛りされていた“一人店主”の方も、お店を去ることになった模様です。『麺香房 暖々』GWの営業情報
4月28日(水) 15時終了
※4月29日(祝)~ 休業
※一部改装工事を行ないます
『麺香房 暖々』(リンク先『食べログ』店舗情報)
住所:東京都大田区大森東1-3-12
営業時間:
月~土曜日 12:00~24:00
日曜日 12:00~23:00
定休日:原則、無休(ただし、年末年始・お盆休みの他、臨時休業あり)
※営業再開日・未定
⇒「『麺香房 暖々』5月12日より営業再開」
『麺香房 暖々』の“存在”を初めて知ったのは、確か2003年の春頃。
産業道路沿いから交通費を安く上げるために平和島駅まで歩いている途上w この店を第一京浜沿いに“発見”したモノでした。
“店構え”からしてどんな店かはハッキリとは分かりませんでしたがw 店外のメニューを見て「ああ、『ラーメン屋』なんだ・・・」と、軽い気持ちで店へ入りました。
その時のラーメンの値段は、確か「550円」だったか?
夕方前の空いている時間帯で、客もまばら。
卓上に置かれた胡椒容器や、「全て無料です」と書かれたヤサイ・ニンニク・脂・味濃い目の掲示、それに店主が着ていたコック服を目にして
(注:「堀切系」とは、2000年代前半まで“勝手にラーメン二郎”を名乗っていた、『ラーメン二郎 堀切店』の系列店のコト。)
そして、“この店の何たるか?”を知ることになる、トッピング・タイムw
そこで「ヤサイ・ニンニク・カラメ」と、つい“反射的”に呪文を口走ったトコロ、
すると、店主はか細い声で「野菜でよろしければ、イッパイ食べて下さい・・・」なんてコトをのたまっていたっけ・・・・・・。
それから、ちょくちょくと店へ足を運ぶようになった。
初めの内は“堀切系”のレッテルが外れず、その味よりも「営業時間の長さ」(確か「11:30頃~24:30頃まで営業していたように記憶している)と「定休日ナシ」に“惹かれて”いたモノだった。
昼時を除けば、店はそれほど混んではおらず、「ビールとメンマをつまみに・・・」といった“利用”をさせてもらっていた。
そんな『暖々』が“大化け”したのが、「2006~2007年」頃。
“行列店”へと成長を遂げたのは、確かこの頃だったように思う。
その“起爆剤”の一つに、“二郎系”における汁なしメニューの礎となった「油そば」が挙げられよう。
かつて“堀切系”が提供していた油そばとは異なり、どことなく『ラーメン二郎 横浜関内店』の汁なし(リンク先・関連記事)を想起させるそのスペックに、正直驚かされた。「油そば」豚増し&卵黄(700円+120円+100円)
トッピング:野菜チョッと多め・ニンニク・味濃い目
しかも、その味も良かった。
この油そばが提供されるまでは、ワタクシにとっての『暖々』は“都合の良い店”といった評価。
営業時間も長く、定休日も中休みもない、それでいて“二郎系”にツキモノのブレも少ないといった面を重視していたが、この油そばの提供開始以降、「『暖々』目当てに電車に乗る」といった生活パターンが形成された。
しかも、その時期(2006年~2007年頃)になると、油そばだけではなく「ラーメンのスープも“向上”」するという、ウレシイ誤算もあった。
ここにおいて、ワタクシにとっての『暖々』は“堀切系”の一店舗ではなく、完全に
そして、上に貼付した「油そば」(の画像)こそが、ワタクシにとって
『暖々』に大量のお客さんが押し寄せるようになってからは、忙しそうに働く店主さんに気を遣って“封印”していた、油そばのスープ割り。「油そば」スープ割り
この店と自分との“関わり”を思い浮かべつつスープを全て飲み干し、店主さんへの最後の挨拶をさせてもらいました・・・・・・。
2010年4月28日、店主最後の日。
ワタクシは足を運べませんでしたが、『食の記録集』工作部隊の一人が、最後の訪問を決行してくれました。
前日から、強い雨が降り続いていた4月28日。「和風つけ麺」豚増し(730円+120円)
この日が“どんな意味のある日”かを知ってか知らずか、お客さんの多くは何事もないかのように店に出入りするだけであったが、やはり、何人かは「店主に挨拶」をしてから店を出たそうだ。
“ワタクシにとっての最後の日”には多少、挨拶をされて店主の方にも戸惑いがあったように感じたが、この日は、店主の方からもお礼の言葉が述べられていたらしい・・・・・・。
当ブログでは、2008年の更新開始より、約20本近くの『暖々』エントリを公開してきました。
(「タグ:暖々」で全ての記事が閲覧可能です。)
その、各エントリに込めた“願い”があるとすれば、ソレは
2008年当時、『暖々』では「ヤサイ多目を注文 ⇒ 食べきれずに店から逃走」という“遊び”が多発しており、店主さんは何とも「やりきれない・・・」といった表情をしていた。
「正面切って注意できない」──、そう見て取れる(?)店主に成り代わり、『暖々』エントリに関しては詳細な記述を繰り返してきた。
全ては「店主さんに“負担”をかけるんじゃネーよ(怒)」との思いを織り込みつつ、少しでも“健全な空気”が店に広がることを願って。
その“成果”は、果たしてあったのかどうか、今となっては分からないのだが・・・・・・。
最後に、『暖々』の“今後”について。
店主さんからは、何も詳細な予定は伺うことが出来なかったのですが、“おおよその方向性”であれば、推測することは可能だ。
(有)フューチャーファクトリー、つまりは
勤務地のトップに「平和島」という地名が挙がっているトコロからして、コレを“偶然”として片付けるのは、チョッと困難だろう。

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本当ならとても残念です。
通い続けた店というコトもありコチラも相当にツライのですが、「店主」自身も、今回の“引退”がスッパ抜かれたコトに対して、かなり“動揺”の色を隠せなかった模様。
コチラとしては、店主がゴールデンウィークの営業についてコトバを濁し(4月28日の営業情報までしか語らなかった)、ほぼ同時に“堀切系の動き”が確認できた時点で「確定情報」だと一応の認定をしましたが、今回の「『数字の掲示板』における情報の出し方」に関しては、“賛否両論”あるでしょうね。
「情報」を出す以上それなりに“説得力のあるソース”を示す必要があるのは勿論だが、それ以上に、今回は「店主の気持ちを汲んでやる必要」があったような気がする。
それらを考慮し、当ブログでは“このタイミングでの公表”に踏み切った次第。
“別れ”なんて、いつだって突然のモノなんだよな。
突然失礼いたしました。
平和島暖々に熱い思いをお持ちなようなので。
http://twitter.com/#!/search/%23dandancyborg
“この系統のラーメン”がない土地柄、店主さんは相当に苦労されるだろうと推測いたします。
> こんにちわ、サーフィンしていたら辿り着きました。今、サイボーグ店主は高崎の宝となって、行列を産み出し続けています。この熱い記事に絆されて、さっそく今日(今月一回目)、行ってきます。
“平和島における過去”をご存じなければ、店主さんのことも店のスタイルも理解不能でしょうねw
確かに、“サイボーグ店主”時代の『暖々』は、『ラーメン二郎』のパクリメニューを出す店としては、かなり高いクォリティを保っていたのは事実。
他のパクリ二郎店舗の多くが材料をケチるなどの“手抜き”をする中、長期間に渡り本家に近いレベルのラーメンを提供していたワケですから、人気店となるのも当然。
念願の“一国一城の主”となっても、そのクォリティは保っていただけるものと信じております。
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